「学然後知不足、教然後知困」
( 書き下し)
「学びて然る後に足らざるを知り、
教えて然る後に困(くる)しむを知る」
「学びて然る後に足らざるを知り、
教えて然る後に困(くる)しむを知る」
学ぶことによって、
自分の知識や経験が
いかに足りないかを知り、
人に教える時になって、
教えるものとしての自分の未熟さと
努力の必要度を知る。
自分の知識や経験が
いかに足りないかを知り、
人に教える時になって、
教えるものとしての自分の未熟さと
努力の必要度を知る。
五経の一つ「礼記」の一文です。
「何でそんなに外に勉強に行くの?」とよく聞かれます。
でも、学びに行かないと、自分の足りなさがわかりません。
そして、学びの場で、他者との交流がないとなおさらです。
今日の学びを終え、あらためてこの言葉を思い出しました。
そして、自分の力量ではまだまだは思いながらも、講師の要請に応えるのも、足りなさを確認するためなのかもしれません。
登壇することって、最大の学びの場ですから。
学びに行っても、登壇しても、まだまだ足りないなぁと感じればよいのだと思います。
成長する余地があるということですし、まだまだのびしろがあるって、楽しいじゃないですか。